アフィリエイト広告について その2
どうも、もう2月ですね。
このブログをはじめてからもうすぐ2週間が経ちます。
なんというか、結局何もやっていないが故に時間の流れが遅いようで早いです。
逆に何かをやってる時っていうのは、早いようで遅い感覚があります。
で、今回の記事は3本立てとなってます。
やっぱり見出しとかちゃんとした方がいいのかもしれませんが、自分の道を突き進む形で、レイアウト無視して書きます。
まず1つ目の話題です。
アフィリエイト広告を張った話を以前しました。
新たにポイントサイトのバナーをサイドバーに追加しました。
この手ではよくある話ですが、そのバナーから登録していただけるとポイントがもらえます。
そして、当然紹介した自分ももらえるっていうやつです。
しかし、このポイントサイトの紹介制度の肝はそこでなく、その紹介された方がポイントを稼ぐと、紹介した側にも入るというものです。
別にこれは紹介された方のポイントが減るわけではありません。
紹介された方が稼いだポイントはそのままで、紹介者側にもその稼いでくれたポイントから一定の割合が入るという仕組みのようです。
上記の過去記事で話しました、ポイントサイトをやるよりアフィリエイトブログの方が儲かるっていう解説サイトが多かったというのは、そこにあります。
普通にイメージされる広告をクリックしたり、ゲームをやったりではまったく稼げないってことです。
大きく稼ごうとするとなんらかのサービスの会員登録するものになり、やたらめったら登録するのもどうかと思うし、何よりめんどくさい。
付け加えて、登録してしまったらもうその案件で稼ぐことはできないというわけで、安定性に欠ける。
で、一番大きく稼げて安定性がある方法がその友達紹介というものってわけです。
そんな解説サイトを見たので、まずはブログを作るかーってことでここを作ったのでした。
で、一応このブログも完成したので、とりあえず大手のポイントサイトのアカウントを作ってみました。
見てみると、どれもごちゃごちゃしていてよくわからず、これはめんどくさそうな感じですね。
まだアカウントを作って1日も経ってないので、少しやってみて気力があったらここでその話をしようと思います。
それで、ついでにバナーだけでもと思い、紹介用のバナーを張りました。
上記の通り、このバナーを経由すると普通に登録するより追加でポイントがもらえるそうです。
でもって、自分も紹介料が入ると。
でも、別にポイントをもらう側である、紹介者も加入者も損をしないわけです。
紹介されようがされまいが、稼ぐポイントは同じです。
なので、紹介された形で加入したほうが初回でポイントがもらえる分お得です。
損が発生しないので、ねずみ講というわけではないってわけですね。
そういう意味で、このシステムはビジネス的にはよくできていると思います。
この紹介制で思うことは、ポイントを稼ぐと紹介者にまで毎回利益がいくので、それが気に食わないってことでしょうか。
あとは、やっぱりサービス開始直後の人でかつ影響力のある人が有利ってことですかね。
この手の紹介サイトで、月に何十万とか何百万稼いでいるって人たちはまさにこれですよね。
仮に自分が有名人だったとしても、もうあんまり登録してくれる人はいなさそうです。
さらにガンガンポイントを稼ぐ人は、当然そういうポイントなどを紹介してるブログを回って、自分でもポイント紹介するサイトを運営してることでしょう。
つまり、今紹介されて始める人がいたとしても、ほとんど毎日必死にポイントは稼がないだろうってことです。
なので、この仕組みで利益を大きくするのは、ぼっちの自分には無理そうです。
でもって、この仕組みで損をするのは当然運営側ということになります。
紹介されればその紹介者に無駄にポイントを払うことになるわけで、むしろ紹介から登録してほしくないってことになるわけですね。
っという感じの利害関係ですね。
自分ハマグリに利益をあげてもいいって思う懐の深い方は、是非自分のバナーから登録してください。
2つ目の話題。
ここまでポイントサイトの話でしたが、それより以前に張ってたアフィリエイト広告の話。
結局1月の収支はどうなったのかってことを話そうと思います。
こういうことはあまり話べきことではないと思いますが、一応気になる方もいると思ったので。
っていっても、ここに訪れている人は皆無に等しいんですけどね。
結論から言うと、上記の通り誰も来てないのでほとんど入ってません。
わかりきってることだと思いますが、一応です、一応。
ちなみに、ここに張ってあるアフィリエイト広告の話もしておきます。
サイドバーに設置した広告は、成果型報酬系のアフィリエイトです。
これはそのバナーからなんらかの取引が成立したときに報酬が発生するというものです。
つまり、Amazonのバナーをクリックしていただいて、その後Amazonで何かを買ってもらえれば報酬が出るというものです。
記事上下(上はスマホのみ)と、フッターに設置した広告はクリック型報酬系のアフィリエイトです。
これはそのまんま、クリックしてもらっただけで報酬が発生するっていうものです。
当然ですが、成果型の方が報酬額は高いですが、その分報酬成立は発生しにくいです。
逆にクリック型の方が報酬額は低いですが、報酬成立は発生しやすいです。
上記、1月の報酬が「ほとんど」と書いたのは、一応数円ですが入っていたのです。
だってクリックしてもらうだけで報酬が入るんですから、誤ってクリックしただけでも報酬が入るわけです。
でも、もう今月以降はそれも期待できないと思いますが。
おそらく、mixiやらTwitterやらの影響でここに飛んできた方がいるっぽいです。
これは初回のブーストみたいなもので、今後は自分のページに来ることはないでしょう。
ま、もしよかったら、せめてクリック型のバナーだけでもクリックしてもらえるとありがたいです。
最後の話題。
ここまでネット上の広告について書いてて場違いな話ですが、おそらく自分のページに広告がまともに表示されてる方って少ないのではないかと思うのです。
つまり、広告ブロックの機能によってほとんど表示されないのではないかってことです。
実際、自分が表示されてない場合があるからです。
そもそもの話をすると、このページにアフィリエイトを張り付けるという段階で、もう一苦労だったのです。
なぜなら、その広告提供者のページすらまともに表示されない始末だったのです。
アクセスしただけで真っ黒の画面でした。
だから正直、自分なんかのブログに奇跡的に誰かが訪れたとしても、バナークリック以前に、そもそもそのバナーが表示されてるのかっていう疑問があったのです。
過去記事にも書きましたが、もうネット上のバナー広告が当たり前になってきていると話しました。
それは同時に単純な広告はカットされてきているってことです。
その過去記事では、広告の存在が情報やコンテンツの無料提供を実現してるという面で書きました。
でもその一方で、その広告は“宣伝”にはなってないって思っています。
パソコンのブラウザは、もう『広告ブロックが当たり前』になってるって思うのです。
ブラウザの進化はすさまじく、大半のサービスはブラウザ上で可能になりました。
ワードもエクセルも、ソフトを入れずともブラウザ上で可能です。
同等のものなら、Googleのサービスに「ドキュメント」や「スプレッドシート」なんてのもありますよね。
クラウド化が進み、データの管理もブラウザ上で行い、動画の視聴も電子書籍もやっぱりブラウザ上で見る。
今じゃChrome OSなんてのがあって、Chromebookなんていう安価なパソコンまで売られてます。
そのブラウザの進化は、余計なものは除いてくれるようになりました。
それこそが広告です。
ブラウザ上の仕組みで以って表示される広告の大半は、ほとんどカットすることができるようになったのです。
ブラウザだけでなく、テレビを見てる方でCMをまともに見てる方はどれだけいるでしょうか。
ただでさえテレビの視聴率は下がってることに加えて、今では録画して見てる方が多いはず。
その録画ではCMスキップなる機能があるわけです。
広告があってもカットされる。
デジタル広告は、デジタルであるが故に簡単にカットできる。
だからこそ、広告自体にも『価値』が必要になってきているのだと思います。
それはつまり、広告コンテンツというただ宣伝するだけでなく、新たな『価値』として確立されなければならないわけです。
Youtuberという存在は、まさにその形態の一つなのでしょう。
この広告ブロックの流れはスマホにも来ると思っています。
事実、iOSの標準ブラウザのSafariは広告ブロックが導入できますしね。
Androidにもその流れが来るでしょう。
なんでも、Google Chromeにも標準で広告ブロックが搭載されるとかなんとかって記事を以前見かけました。
確かちょうど今月の15日あたりからだったと思います。
おそらくこの記事です。
やはりこの先は、さらに明確な『価値』が問われる時代なんでしょう。
それはデジタルの中でだけではありません。
デジタルを越え、人の在り方にも問われるのだと思います。
『価値』がなければ存在できない。
今の自分はカットされた、人の目に映らない存在です。
もしかすると、こうしたカットされハブられた人間の最後は、いわゆる一瞬の閃光のような輝きを発しようとし、反社会的な行動をとるのかもしれません。
そう、それは炎上という名の社会悪の輝きです。
今の自分にはそれすら眩しく思ってしまう、空しいクズ人間ですが。
まぁこの炎上というのも、それが人間社会の秩序を乱す“完全悪”ではなく、各々の持っている価値観の中の悪でしかなく、それがネットという媒体の影響で拡散されたものにすぎないわけなんですけどね。
痴漢などの犯罪から、政治の問題なども含めて、それが本当なのかどうなのかというのは関係がなく、ただ何らかの問題や話題が拡散され、同じ価値観の人達が集まって声が大きくなり、社会に大きく注目されるということです。
ちょっと前の座間市のTwitterで自殺願望者を集め殺害したって事件も、犯人ばかりが責められてましたが、そもそもそんな人物とつながった被害者の方々にも問題はなかったのかとか思うわけです。
この事件を受けての解決策が、Twitterを規制するっていう流れになりました。
でも、それならTwitter以外のツールを用いればいいだけの話であって、根本の解決にはなってないと思うのです。
なぜ自殺しようと思ったのか、そういう被害者の精神や環境、ひいては社会の問題は解決されないわけです。
表面上のことばかり問題視され、拡散され、炎上する。
この先もきっと別の形の事件が幾度となく起きることでしょう。
というより、もう現在進行形であちこちで起きてるのだと思います。
その都度ネット上で罵声が飛び交い、拡散され、その犯行なりなんなりの使われた道具やツールが規制される。
目ざわりな広告がカットされるのと同様、自分の見たいものだけが映し出され、自分の信じたいことだけを信じ、自分の中での『価値あるもの』だけを汲み取る。
この表面上のいたちごっこの輪は途切れることはないと思います。
無論、それは社会の輪から外れている自分もそうです。
ここでこう語っていても、それが正しいことなのかどうなのかわかりはしません。
それどころか、こうして語っている自分の“価値観”も、曲がりなりにも人間なので、当然他者の影響を受けています。
上記では、犯人ばかりが責められていると書いてますが、自分が知らないだけで同様の主張をしている人が大勢いることでしょう。
情報を手軽に送受信できるようになり、かつ技術の進化によって情報を個人個人が好きなように得て、好きなように解釈できるようになったわけです。
この情報だらけの中では、『自分』という確かな芯を持ってないと、すぐに情報に流されることでしょう。
そして広告もまた、ただコンテンツに無理やりくっつくだけのオマケではなく、『広告』という芯が必要なのかもしれません。
話が逸れてきてますが、それだけに今は情報化社会なんだってことで、相変わらず強引な締め方ですね。
デジタルの中のぼっちである自分は、文章の起承転結からきちんと学び直さないと。
余談ですが、今まで記事を書いてきて大体3時間程度かかってたりします。
ホント、Twitterが流行る理由がよくわかりますね。
どうしても話が脱線したりしてますし、こんなの定期的に続きませんよ。
自分のブログはあくまでチラシの裏なので、テーマも何もありませんしね。
記事内容も一応決めてはいるものの、気分で書いているので方向性もなく、読みづらいと。
ブロガーとかそういう人たちは、もう自分とは違う存在のように思えます。
おそらく定期的に続いている人は、きっと毎日文章を作ってる人なんでしょうね。
それをストックしておき、何らかのツールで自動投稿する仕組みを組んでいるのでしょう。
確か、ブログの記事とかも代行するサービスとかもあったと思いますし、人気になるための記事だったりレイアウトだったりは、素人には難しいんでしょうね。
きちんとした知識と技術、そして熱意がないと、もうブログは誰も来てもらえないのでしょう。
それにそういった気持ちを持ってないと、人に見てもらえるクオリティーを保つのは厳しいって改めて思いましたよ。
過去の自分が続いていたのは、本当にそこが自分の居場所だったからにすぎませんから、おそらくこれからはTwitterが居場所になりそうかな?
うーん、もうこれは、そろそろここの更新は当分なくなりそうです。
次は来年かもわかりませんね。
それでは、ごきげんよう。