know thyself ― ひきこもりのチラシの裏

ひきこもりの私的な日記ブログです。

アフィリエイト広告について

やはり何かをやると、そのことについて感じたことや自分なりの解釈というのが出てくるもの。

はじめたばかりだからこその更新ですね。

また長文になり、そして昔と今の話になります。

今回はこのチラシの表の広告について。

 

何度も書いた通り、人恋しくなりブログをはじめたのですが、もっと遡るとちょっと違ったりもするのです。

実はひきこもりニートなので、やはりその環境を維持しながらお金を稼げないかと思っていたのです。

これはひきこもりニートだけじゃなく、誰でも働かずに稼げないかというのは考えると思いますが。

そして考えたのが、ポイントサイトで適当に広告をクリックしたりして稼ぐというものでした。

 

今の時代は何か思いついたらまずネットで検索して調べるという流れになると思います。

調べてみたところ、大体のサイトがいわゆるアフィリエイトサイトを運営した方が効率が良いという結論だったのです。

まぁそういうサイトこそ業者さんのサイトだと思うのですが。

 

そんなこんなで、それじゃあブログをやってみようかとなり、今に至るのです。

 

ここから本題。

昔の自分は個人のサイトでたくさんのバナー広告を見ると、ちょっとした嫌悪感みたいなのがありました。

これは少なからず誰もが思うと思います。

実際某掲示板群にも嫌儲板なんて板までできたぐらいですから。

掲示板の情報を引っ張ってきて、それを載せてお金を稼いるなんてふざけるなってことです。

なのでこのブログも、おそらく嫌悪感を抱いた方はいると思います。

知名度もない、有益な情報もなければおもしろくもない。

そんなブログに一丁前に広告だけはたくさんあるのですから。

 

ですが、自分はかつてよりは嫌悪感を抱かなくなっていることに気づいたのです。

それがなぜかと考えてみると、むしろネット上で広告を見ない方が稀になったからでしょう。

町中と同じで、ネット上にも広告で溢れかえるようになりました。

ブラウザでネットサーフィンしてても、スマホのアプリの中にも、1日に数えきれないくらい見ています。

 

時代の流れによって価値観が変わり、ネット上での広告も“当たり前”になったのです。

そんなこんなで、自分の中の嫌悪感が薄らいでいき、どうせネット上に自分の居場所を作るなら稼げるかどうかは置いといて、とりあえず広告を設置するかってことになったのでした。

そしてこの広告について考えていると、むしろ今の時代には非常に重要な存在なのだと思ってみたりしています。

 

アプリ内の広告も、無料でアプリを提供できる仕組みなわけで。

このブログも自分の設置した広告以外にも出てくるわけですが、これもこのサービスを無料で利用できるためのものであるわけです。

広告という存在が、そのサービスを無料で提供するための基盤になっているわけです。

 

こう考えていて、アフィリエイトという形も変わったものだと思ったのでした。

かつてはホームページビルダーやらを使ってアフィリエイトサイトを運営する本などをよく見かけましたが、今ではYoutuberなる存在が出てきて、動画でレビューする時代ですからね。

 

そこまで考えていて広告の話から逸れるのですが、ネット上の情報やコンテンツというのは無料が当たり前になっています。

ニュースや音楽、動画、さらにはゲームも、今ではもう無料の時代。

新聞もCDもDVDもゲーム機も、どれもなくても触れられる時代になっています。

もちろん、有料の物の方が情報の質が良いのが当たり前の話ですし、コンシューマゲームの良さとか、そういうのもあるとは思うのですが。

なくても、代わりがあると思うのです。

 

そうなると、この先どうなるのだろうと思うのです。

もう情報やコンテンツというのは、ユーザーによって無償で消費され、消費したユーザーが各々適切だと思う価格でその対価を払う、そんな形になるのでしょうか。

今ある無数の情報やコンテンツは、消費されてはじめて“情報・コンテンツ”に成るのであって、消費されないものはただのデータにすぎない。

だからこそ、その情報・コンテンツを認知し消費してもらうために広告があり、話題性を高めるためにあらゆるSNSで拡散され、トレンドが生まれる。

トレンドは社会の循環を活性化させ、ひいては個人の生活を豊かにする。

 

うーん、世の中は複雑です。

でもこう書いていて、やっぱり自分はあらゆる社会の外側、ぼっちなのだと再認識だけはできました。

 

このブログにしても読むのは無料です。

タダより高いものはない。

果たしてその『価値』はどうなのだろうか。

読んだ方の共感を得られたのか。

それともその方の時間を無駄にさせただけなのか。

さらには嫌悪感を抱かさせたのか。

 

それは自分にはわかりません。

記事の評価だけでなく、自分は自分のことを何もわかってないから。

結局、情報・コンテンツだけでなく、『人間としての評価』も、『自分という存在を確立する』ためにも、それは自分で値打ちを決めるのでなく、他人が決めるものなのだから。

 

なんにしても、広告という存在のおかげで自分はここに居場所を作ることができました。

そして、自分の設置した広告で以って収益をあげられたのなら、無料の恩恵によってみんなが幸せになるわけですね。

そんな都合の良い話はありませんが。

という感じで、強引にこの記事を終わらせようと思います。