know thyself ― ひきこもりのチラシの裏

ひきこもりの私的な日記ブログです。

落ちこぼれのゆく年くる年 Part.2

なんとか夜勤を耐えきったハマグリです。

というわけで、今日で2019年最後です。長文にはなりますがあったことなどを書きたいと思います。

最後の仕事

12月の3週目もなんとか耐え抜きました。やることはあるにはあったのですが、やはり現場を離れるってことで業務よりパソコンの個人データの削除といった退場作業をすることになりました。なので、そこまで慌ただしいこともなく終わりました。

でもって、前回のサーバーのセットアップの現場と違い、一つの場所でいろんな方たちと連携するって職場だったため、最終日には簡単な菓子折りを用意したんですよね。そんなことする必要はなかったとは思うのですが。

で、業務の一番最後に夜勤帯から日勤帯に引き継ぐという作業があるのですが、そこで一言挨拶をすることになってしまいました。これはある程度予想していたのですが、その後ビックリすることに、自分が所属していたチームから簡単な粗品をいただきました。

いやー、菓子折り持って行ってよかったと思った出来事でした。ちなみに、粗品はボールペンでした。今後このボールペンで就活をしようと思います。

一方、自分が所属している方の会社には、勤怠や交通費などの請求は済ませ、最後の挨拶もしておきました。もちろんメールでですけど。あとやるべきことは保険証の返却と、会社側から離職票などを送ってもらうってことぐらいですね。離職票がないと失業手当の手続きができないそうなので、これだけはなんとしてでも送ってもらわないと困ります。

とまぁ、あったことは以上となります。

IT業界について振り返る

というわけで、自分のはじめての正社員としての社会人生活を送ったわけですが、まぁ色々ありましたね。

学んだこととして、まずIT系の「未経験OK」などといった謳い文句の求人はもれなくSESと呼ばれる客先常駐の派遣となるってことですね。正社員として雇用された後、派遣先に飛ばされるという流れです。

入社から派遣先決定まで

入社後、手続きを経て簡単なビジネスマナーとパソコンの研修があり、平行して派遣先を決定するって流れでした。おそらくこの研修等は会社によって違うらしく、まったく研修がなく自習みたいな感じもあれば、指定された資格を取るまで派遣先に飛ばされないって会社もあるようです。自分のところは簡単な触りだけっていう感じでしたね。研修当時にも書きましたが、これは面談で多少の会話をできるようにするためっていうところでしょう。

で、その派遣先については、自分の会社では営業から派遣先を紹介され、ほぼ強制的にその派遣先に顔合わせという面談に行かされます。何度も書いてますが、面談という名の面接のため、かなり緊張することになります。というのも、IT未経験なわけですからそもそも主張できることが少ない上に、派遣先の方以外にも自分側と相手側の営業の人がいるという状態ため、普通の面接以上のプレッシャーがあるんですよね。

この面談の流れは、大体進行は相手側(派遣先)の営業の方がおこない、まず派遣先の業務内容とほしい人材についての説明があり、その後それに対する質問時間となります。

次に自分側の自己紹介となり、派遣先側の質問を受けたりします。

最後に、もう一度派遣先側に質問時間など簡単な雑談みたいな時間があり、終了となります。

パターンはその時々で変わりますが、基本は上の流れで進行します。こんなことを毎回やらされるんですから、本当にキツイですよ。

とはいえ、未経験でも人が欲しいという現場っていうのは、言うまでもなく技術力を望んでいるのではなく、休むことなく毎日通勤して雑務をこなせる人がほしいんですよね。なので、もしこれからITエンジニアのSES業務をやろうとしている人がいるのであれば、面談ではズバズバ質問して、自分に合わないと思ったら断る勇気を持った方がいいでしょう。

っとそんな流れで、派遣先が決まったら、もう自分の所属している会社とはほぼ無関係となり、派遣先の会社に通うこととなるって流れです。

自分が経験した現場は2つ、サーバーのセットアップ業務とサーバーの運用監視業務です。

サーバー保守業務

最初の現場はセットアップをするって案件で、保守業務となります。振り返ってみれば、この業務を続けていた方がスキルアップにつながったって言えましたね。

セットアップする手順書と呼ばれるマニュアルを作成し、そのマニュアルが問題ないかを検証し、最後に全国にあるその対象サーバーに直接セットアップをするっていうものでした。

後からわかったことですが、そもそも自分が派遣してきた時点で既にスケジュールが押している状態だったようで、マニュアルの納期直前ではずっと残業という非常にブラックな体験をしました。オマケに自分の存在は業務の補佐という形ではあったのですが、実態はただ頭数を増やすだけの存在だったようです。つまり、現場作業員は必ず2名以上必要だったのですが、他のメンバーがどうしても参加できなかったため自分が派遣させられたってことだったようです。

その上で、自分で言うのもなんですが、かなりこの現場では貢献したと思っています。上記の通り、頭数だけのためだったため、普通では考えられない面談前から派遣先が確定という状態でした。そんなまったく当てにされてない自分が作成したマニュアルが、ほぼすべてのマニュアルのベースとなっているんですよね。さらにそのうちの1つはもう全ページ自分が作ったっていうね。まぁ、そのマニュアルの作成者の項目は責任者である上司の名前になっているんですけど。本当にこれ、自分がベースを作ってなかったら間違いなく納期が相当遅れてたと思いますよ。当時の自分の記事見ても書いてますが、結局上司はまったく作成作業してなかったんですからね。

なので今振り返ってみると、すぐドロップアウトしちゃうような人だったらヤバかったんじゃないかなーって思います。事実、自分の後に来た人は2週間でドロップアウトしちゃったんですよね。一応病気を患ってってことみたいですけど、おそらく嘘だと思われます。そりゃ、あんだけ残業だらけじゃ辞めますよね。

まぁそんなツライことはありましたが、最後の出張では滞りなく作業が進行し、ちょっとした観光ができるっていう良い体験もしました。引きこもりニートの自分が新幹線やら飛行機やらに乗り、ビジネスホテル暮らしをするっていう考えられない体験をしました。

この現場の問題点は、明らかに上司の能力不足が原因で、スケジュール管理から自分への的確な指示などができなかったってことですね。もちろん、すべて上司が悪いっていうわけではないのですが、少なからず現場内で改善できる余地はあったと思います。

この上司のブラック対応がなければ、可能であればこの現場に残りたかったですね。実際に運用されているサーバーをセットアップしたりできるんですから、簡単な作業とはいえ貴重な体験だったと思っています。手順書の作成も自分で作成して、検証でコマンドとかも勉強できましたからね。

2つ目の現場が、本当によく言われている底辺ITエンジニアって感じでした。

サーバー運用監視業務

面談の段階では、アラートが鳴ったらその対応しているチームへ電話連絡をするって業務で、他に別の業務を合間に少しやる程度と聞いていました。そして可能であれば、休憩時間などでサーバーの勉強ができると。

蓋を開けてみたらそんなことはなく、実態は他の業務が大半で、電話連絡は片手間にやるっていうおかしな状態となっていました。

一応、メインの業務はその電話連絡というサーバーの監視業務ということになっているようです。そしてその他に、会社全体のファイルサーバーの管理と、その他雑務を担当するというチームでした。サーバーの監視のため、当然24時間365日稼働し続ける業務です。

サーバーのセットアップの現場以上に殺伐としており、自分の前の前任者は3週間で辞めてしまったというね。その前の方々もみんなすぐに辞めていったと聞かされ、とんでもないところに来てしまったと思いました。ま、自分もその洗礼を浴び、9ヶ月でドロップアウトし、さらに退職を決意するに至りました。

具体的には、サーバーの監視業務は上記の通り、アラートが鳴ったらアラートメールが飛んでくるので、そのメール内容から然るべき対応をするっていうものです。基本的には電話連絡をするか、静観となります。ただし、夜間帯は他のチームがいないため、場合によっては自分たちで対応する必要があるって感じですね。

次にファイルサーバーの管理。これは会社内のファイルサーバーのアクセス権を付けたり外したりなど、それに関わる作業を代理で対応するっていうものです。代理なのに、実態はこのチームのメイン業務となっています。この現場の繁忙期が4月と10月だと過去記事に書いたと思いますが、その理由がこのファイルサーバー業務にあります。

基本的にアクセス権の付け外しの依頼が主なんですが、時期的に新入社員や退職者の関係で4月に多く、次に10月は人事異動のためってわけなんですよね。というわけで、この時期だと通常の2倍から多いときだと最大5倍はありました。なんでも、年々依頼件数は増えてるんだそうです。この対応はどうにかしたほうがいいと思いますけどね。

最後にその他の雑務。これは会社内の業務サイトにポップアップでお知らせなどを掲載したりとか、業務用プリンターの設定とか、そんな作業です。これも色々あり、それぞれ覚えることが色々あるんですよね。

で、ここまで書いていてどうでしょうか。サーバーの知識が深まると思った方はどれだけいるでしょうか。そう、これまったくサーバーの勉強にはならないんですよね。唯一、夜間帯の自分たちで対応する必要がある場合のみ、それに関わるので勉強にはなるのですが、それ以外はほぼ無関係です。

ファイルサーバーのアクセス権などは、根本的な作業はバッチを実行するだけですし、その他の雑務も手順書というマニュアルに従って、画面ポチポチが主なんですよね。

つまり、ここで覚えた作業というのは、『この会社内での決められた業務』というものなんですよね。サーバーという本質的な勉強はほとんどできていません。

その一方で、その会社内の決められた業務は細かく決まっているため、覚えるのが一苦労なんですよ。それも依頼が来なければできないため、間が空けば当然忘れてしまうわけで、これがまた精神的に来るのです。

サーバーのセットアップみたいな長期の案件ではなく、メールで短期の依頼がゴロゴロ来るため、今日の何時までにこの依頼を完了させなければならないという時間的プレッシャー、さらにそういった依頼を平行して行わなければならないという慌ただしさと、気の休まる時間がないって感じなんですよね。

そして、そういった依頼を管理するため、プロジェクト管理ツールを使っているのですが、これがまためんどくさいのなんの。これ、依頼が来る度に、何年何月何日の何時にこういう依頼が誰それから来て、作業実施は何年何月~(以下略)、ってな具合に登録していかなければならないんですよね。

バカバカしいのですが、これ記載を忘れると膨大に来る依頼メール全てに目が通せないため、依頼作業を実施できなくなっちゃうのです。実際に自分ではないのですが、記載忘れでインシデントが発生したりしました。

というように、この現場は基本的にはそのプロジェクト管理ツールで業務管理を行い、実業務ではエクセルでおこなうっていう現場でした。簡略化するためのソフトウェアなどは作られず、何かあったらエクセルのマクロで対応し、あとは現場での作業工程の見直しや認識合わせ、注意喚起などで対応するって感じですね。

こんな現場で奇跡的にも自分は大きなトラブルはおこさなかったのですが、別の方がインシデントなどを発生させてしまい、その対応は上記の通りなわけです。さすがに限界があると思っています。エクセルのマクロも万能ではないため、ある程度は手動で対応するわけで、そんな業務をマルチタスクで対応するとなると、やはりヒューマンエラーが発生すると。

インシデントが発生しその後の対応策は、一つの業務を対応したらチェックシートに記載するとかその程度で落ち着くことになるわけですが、クソ忙しい中チェックシートに一つ一つチェックなどできるわけもなく、結局形骸化されると。

サーバーのセットアップの現場と違い、こちらは現場内での改善はどうしようもないと思いました。こんな神経を使う現場で、かつ夜勤まであるわけで。

その夜勤も過去何度も書きましたが、夜勤明けは普通の公休扱いのため、休みなのに家に帰ってくるのがお昼ぐらいとなるっていうね。半日過ぎている上に夜勤明けのため実質その日は何もできずに終わっちゃうわけです。それ以外にも、休憩時間を含めた拘束時間が他よりも長く、休憩も変な時間に決められているなど、そりゃよっぽどのことがなければすぐに辞めちゃいますよ、この現場。

というように、仕事内容や勤務体制、現場の状況など、しっかりしているようで破綻している現場でした。この現場に残り続けている人たちはすごいと思います。一応フォローをすると、まったくサーバーの勉強ができないっていうわけではありません。勉強会などもおこなわれているようで、ある程度の勤務していれば運用チームに移ることもできるらしいです。とはいえ、その運用チームの方々も毎月誰かしらいなくなっては新しい人が入っているっていう現状を見るとね。。。

退職決意

2つ目の現場で3ヶ月ほど経ったあたりで限界を感じ、担当社員に現場を変えてもらえるよう話をしたわけですが、結局他の紹介できる現場も夜勤有りの同じような現場しかないと言われ、さんざん悩んだ挙句退職を決めました。まぁそこからこの現場をさらに6ヶ月も耐えたんですから、本当によくやりましたよ。

元々3年で退職するって決めていたわけですが、1年で限界という情けない結果となりました。こう振り返ってみても、やはり自分に合った現場に派遣できるかできないかが鍵となりそうです。もちろん、派遣でなくてもこういうのは縁ですので、合う合わないはあると思うのですがね。

むしろ、派遣だからこそ合わなかったらすぐに別の現場っていう対応をしてくれた方がいいのですが、それすら無理なのですから、それなら普通に直接雇用されて働いた方がいいってもんです。派遣である以上、その現場に貢献しようという意識は薄れるわけで。

さらに腑に落ちないというか、いやらしい話にはなるのですが、同じ仕事をしていても会社が違うため、当然給料体系も違うのです。まったく同じ仕事をしているのに、自分はボーナスもなく基本給も少ないのに、自分より後に来た新人の方がボーナス有で基本給まで高いことがわかった時にはさすがにイラっとしてしまいました。これ、サーバーのセットアップの現場の2週間でいなくなった人も自分より基本給が圧倒的に高かったんですよね。

差があるのはわかるのです。自分よりも全然若いわけだし、当然だとは思うのですが、さすがにすぐにいなくなったり、作業量が自分より少なく、遅刻や欠席、さらにインシデントまで起こしているのに自分より好待遇っていうのはね。

まぁそういう評価される前に自分はドロップアウトしちゃったっていうのもあるとは思うのですが、せめて給料は上げなくてもよいから、自分にあった現場を紹介してほしかったと思いますよ。本当にこの1年2ヶ月、遅刻や欠席だけでなく自分がトリガーとなったトラブルは起こしませんでしたからね。さらには自分の所属している方の会社のイベントごとにも、可能な限りは参加もするようにしてましたし。まぁ、諸々自分にはIT業界は合わなかったってことですね。

IT業界総括

長々書きましたがまとめると、未経験OKの会社の実態は派遣業者で、派遣先が自分に合っていないととんでもないことになるってことですね。そして、意外と最先端と思えるIT業界でも古い体制で成り立っており、作業工程が複雑化していても改善はされない。そんな状態を、比較的若い人たちが維持している。

こんなところでしょうか。若い人たちって部分は振り返りの中には書いてませんが、現場の平均年齢はおそらく26歳前後という感じです。二つの現場合わせて、一番下で22歳、一番上で39歳です。で、ほとんどは20代の人たちで構成されていました。なので、自分はずっと年下に色々と教えてもらっている状態だったわけです。ホント、ただでさえ苦しいのに、年齢的な部分でも耐えてたんですよ。

で、この背景は、経験豊富な方々は転職して客先常駐でなく自社開発している会社に行ってしまうわけです。当たり前ですよね。なので、若いIT専門卒の人たちが派遣でくるわけですが、それでも限界があると。この人手不足を未経験の人たちをかき集めた自分の会社みたいなところが補っているって構図です。そんな若い人たちのチームのため、現場を大きく改善できる力もなく、分不相応の方がリーダーになったりしてしまうってわけです。

自分が派遣された2つの現場共に人手不足なのは間違いなく、業務がひっ迫している状態が慢性化していました。こんな状況にずっと身を置こうって人はいるはずもなく、ある程度経験を積んだら転職するでしょうから、ずっと見習いの方が現場を維持するっていう悪循環ってわけですね。

なので、これからこの業界に行こうと思う人も、どんな現場だとしてももれなくこの輪に入ることになることを覚悟しなければなりません。

以上がIT業界についての振り返りとなります。

今後のこと

振り返りで長くなってしまったので、ここからは手短に。

とりあえず、転職活動は1月下旬ぐらいを予定しています。その間に部屋の掃除やら失業申請やらって感じですね。この話を、先週のハロワ面談でも伝えておきました。そんな感じです。

ゲーム

唯一続けてるソシャゲ、スクスト2。新しい星導変身シリーズってのが来たわけですが、まさかの天音とリョウコという、まぁ推しているキャラだったため、年末ジャンボを買うつもりで貯め込んだガチャ券使ったら、奇跡的に引くことができました。

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いやー、こんなことが今年一番のうれしい出来事になるとは思いもしませんでした。

あとデスストですが、少しプレイしました。確かに地味ですね。今のところただ転ばないように荷物を運ぶだけって感じです。色々片付いたら腰据えてプレイします。

その他諸々放置状態です。

あとがき

とまぁ、色々書きましたが、ここら辺で一年前の大晦日の記事を見返すと確かに変革の年だったとは思いますね。まさか退職するって選択を取るとは当時は思ってなかったと思うので。

なので、来年はさらなる変革からの新しい安定を見つける年にしたいですね。去年はまだ明確にIT業界の中でサーバーの勉強をするっていう明確な目的が持てたわけですが、それがなくなった今、また暗闇の中から目的を作らないといけませんからね。より一層頑張らないといけません。

それと話変わりますが、この間のクリスマスでこのブログの作成から2年が経ったというわけで、意外とこの活動は続いているっていうね。正確な2周年は1月20日ですが。まぁ今後は自分の個人情報を晒しつつもっとネット活動することになるかもしれませんね。一応、デスストやるついでにPS4に配信機能があるのも確かめたので、可能であれば配信します。おそらくしないと思いますけど。

そんなこんなで、今回はこの辺で。

まぁ、相変わらず誰もこんなブログを見てないでしょうが、もしいたらそんな読者の方々、偶然訪れた方々、Twitterのフォロワーの方々、Radiotalkの方々、そして自分と似たような同志の方々、良いお年を!

それでは、ごきげんよう